無垢の非力(人質の香田証生さん死亡)

イラクでの香田さん人質事件について、書きかけのをまとめようとしているうちに、最悪の結果になってしまった。
いろいろblogを見ていて、成城トランスカレッジ id:seijotcpのchikiさんが 「香田証生、イラク、人質事件」キーワードめぐり」で書かれていたことにまったく同感、というかそこまで考えが至ってなかったのだけど、いろいろ考えさせられた。
 
いくつかのblogで見られるように、香田さんという人を馬鹿な奴だと非難するのは確かに簡単だろう。でも経緯はなんであれ、実際に命が失われるかどうかという境目にいて、テレビカメラの前で「助けてください」と懇願している者の表情や声を見聞きして、死んでも当然とか自分には関係ないと捨てておけるものだろうかという疑問を感じた。*1 彼はまさに死に最も近い者という意味で、レヴィナスのいう「他者」(寡婦、孤児、異邦人などと同列の大文字の他者)だったのではないだろうか。そうした者を前にして、高見に立って侮蔑したり、出来事と自分との切り離しに懸命な人間というのは、正直あまり信用できないと思ってる。もしも殺されるかもしれない立場に置かれた者に、同情や憐憫の気持ちが湧かないとしたら、少なくとも黙ってるのが作法というものでしょう。*2
とはいっても実際は、人を「他者」として見るというのは、なかなか出来るものではない。ものごとや人をあるがままに見ることを妨げる心理的なバイアスがかかるし、また共感能力というのも必要になってくる。私にしてもとくに共感たっぷりというわけではなく、実はchikiさんの視点をブースターにしたところもあったりする。共感というのはたしかに政治的に利用されることがあり、じっさい今回の悲劇を自分たちの政治主張にリンクさせようとする綱引きもすでに始まっている。*3 だけど共感はたんなる同意や馴れ合いとは違うし、何よりも「他者」認知がそこから始まる入口でもあると思う。
 
香田さんという人は無垢な人だったのだと思う。そうでなければ今のイラクで自分探しをするなどという発想などしないだろうし。もしかして無辜(innocence)といってもいいかもしれない。*4 無垢や無辜といった面を強調するのもなんだけど、ふつう人は憎悪とか敵意とかを心のなかに持つことがあり、したがって他人もそれを持つものだと認識する。だけど、そういう考えを持ち合わせていない人も世の中にはけっこういるのだ。いわゆる人を疑うということをしないというタイプだ。人それぞれ、頭や要領の良し悪しとか、注意深さに違いがあったり、それに運不運も重なったりして、人生には間違いやドジやミスというのはザラにあるものだ。だけど、だからといって他人からどうこう言われる筋合いなんかない。そして無垢な人というのは、けっこうドジで世渡りもヘタなので、たいていはいつも世界の端っこにいる。そしてたまたま人質とかになって注目を浴びたりすると世界の中心近くに引っぱり上げられ、そうするとこんどは妬まれて叩かれるというパターン。(無垢な人の考えることってよく分からないところがあるけど、嫉妬に駆られる自己愛人間の考えることって分かりやすくてツマラナイ。)
知らない土地に行けば、そしてとくに土地事情に疎ければ、災難や悲劇に見舞われることもあったりする。私も昔まだウブだったころ、ヨーロッパを旅行していたとき、話し掛けてきた二人組に睡眠薬入りのジュースを飲まされたことがあって、けっきょく被害は時間だけだったけど(一日分余計にベッドで寝てた)、あれでもし薬の量がずっと多ければ、貨物便で日本に帰って来てた可能性もまったくないわけではない。ほんとバカみたい話だけど、他人にとやかく言われる筋合いはない。バックパックはやったことがないけれど、経験豊富な人なら危ない目に会ってないことのほうが少ないと思うし、経験に応じて危険回避のノウハウも蓄積されてくるものだろう。つまり、人生いろいろあるってこと。
どこかのblogで「24歳にもなってまだ自分探しなんて」と書いてたのがあった。そう書いてた本人は自分というものが見つかったのだろうか。単に就職先や進路が決まったというのでは、自分が探せたことにはならない。そもそも人間は自己の中心に空を抱えているものなので、そうだとしたらいくら自分を掘り下げていっても、自分というものに到達することはできない。自分探しや自己ナントカというのをやると、たいていそこで躓いてしまう。<わたし>というのは、それこそ様々な「他者」や「われわれ」から抽出されてくるものなのだろうから。彼の場合は可哀想に、悲劇で24年の人生が終わってしまったけれど。
無垢や無辜な人間ならなおさらだろうけど、そうでなくとも一般民間人に対する攻撃じたい罪が重いし、殺人となると最大の罪だろう。もちろんアルカイダが下手人で一番重罪だけど、きたない戦争の尻馬に乗って内乱状態のイラク自衛隊を送った政府も、決して罪を免れるものではない。それと、開戦以来のイラクの死者が10万人と推計され、そのなかに無辜の子供もたくさんいるという事実からも目をそむけてはいけないですね。政府もそうだけど、保守系のメディアなんかも、なんかモラルハザードを起こしてるんじゃないの。
 
無垢というのは何かの欠如だ。欠如(という否定)が否定神学的に肯定に、さらには「他者」につながるというのは、レヴィナスラカンバフチンの論理だった(と思う)。内田樹の新しい著書『他者と死者-ラカンによるレヴィナス』は、ラカンレヴィナスとの接点についても言及している作田啓一『生の欲動』を下敷きにしてるっぽい感じもするけど、時間とお金の余裕が出来たら読んでみたい。
内田樹氏はレヴィナスの「他者」を死者(たち)としているけど、香田さんは「死に近い者」から世界の彼岸の「他者」になってしまった。今回の事件に関しては、相も変わらず政治的立場に依拠したスローガンや記号を使いまわして、固定した意味・価値体系のなかでの自閉的反復も繰り返されているけど、数多くの人間にあらためて何かを考える機会をもたらしたという意味では、決して無駄な死というわけではなかったと思う。 (合掌)
 

*1:おそらく捨て置くために、そして相対的な価値を下げるために、ほんらい関係のない新潟地震が持ち出されたりするのだろう。いろいろなやり方で「切断操作」をしているが散見され、なかには「自殺願望」などといった無茶苦茶なものもあった。

*2:誰もが香田さんという人に愚かさやナイーブさ感じるとは思うけど、自己尊大感をくすぐられたのか、わざわざ香田は愚かな奴だという侮蔑を得意満面に書いている愚かな人間が何人もいた。「語るに落ちる」とは気づかず、自分は愚かではないということをわざわざ主張したいわけだ。

*3:こっちでは昨日、社民系の自衛隊撤退のデモがあったみたいだ。

*4:無辜さというのは、四月の人質事件の高遠さんについても同様に言えると思ってる。彼女も俗世間の常識からするとヘンな人なのだ。個人的には、ボランティアが良いことだとか偽善だとかいうのはどーでもいい話で興味はないし、彼女もそんな水準を超えてると思っている。
基本的には、自分で「これが自分のミッションだ」と思ったことは、(悪行や他人に危害を及ぼすものなどは別として)好きなところに行って自由にやったらいいと思う。評価はまた別の話。そして、世界を見たいというバックパックにしろ、アラスカでオーロラやグリズリーをぜひ見てみたいという旅行にしろ、その人なりのミッションと言えないこともないと思うのだけど。前回の人質3人+2人と今回のは、基本的に変わりはないと思っている。