盆踊りと身体動作

先週末、大通公園の広場でやっていた盆踊りを見物した。こちらの盆踊りは、通りを練り歩くのではなく、「北海盆歌」にあわせて櫓(やぐら)の周りをぐるぐる回る。前に見たときは踊りに注目していたが、今回は櫓のいちばん上で太鼓を叩いている人たちに興味をひかれた。四、五人が交代で叩いていたのだが、大人のなかにひとり中学生くらいに見える女の子がいて、なかなかにカッコ良かった。
一連の太鼓を打つ動きのなかに、木枠のふちをカンカンと叩いてからバチを頭の上にかかげ、それからドドンと振り下ろす箇所がある。大人や若い男性は慣れているせいか、そこのところをあまりバチを高く上げずに連続した動きのなかでサッとやってしまう。でもその女の子は、まるで剣道の上段の構えのように高くバチを振りかざす。それがほんの一瞬静止したように見える。そしてそれから一気に太鼓の中央へ打ち下ろすのだ。単に盆歌の拍子取りだけではなく、太鼓を叩くことじたいにも見せ場があるという感じだ。もしかして本人にはそういう意識があまりなく、基本の「型」に忠実に従っているだけなのかもしれないが、とにかく動作が美しかったので見とれていた。
盆踊りは盆に帰ってくる死者を迎える踊りとされているが、こちらの盆踊りの振りは波を象っているのではないかと思っている。たとえば両手を開きながら体を引く動作は引き波のようだし、両手を湾曲させながら高くかざす動きは波そのものを表しているように見える。そして櫓の周囲を回る動きはまるで渦だ。死者たちは常世の国から、波に乗ってやってくるのではないだろうか。(まるでサーファーみたいな言い方だけど。)
踊りを見ていると、手をかざす動作を高い位置でやっていない人が多かった。太鼓にしても踊りにしても、手を高く上げる動作は疲れるような印象を受ける。でも、手や肩をそのまま位置エネルギーの高いところにもち上げるというわけではなく*1、回転力を利用するのだから、そんなに力は要らないはずなのだ。なにせ波なのだから。(と、自分では踊らないのに、能書きだけ言ってみたり。)
盆が終わると、こちらは空にも風にも秋の気配が濃くなってくる。

*1:たとえば弓道では弓を高くかかげ、それから弓を絞りながら引き降ろすという動作を、腕や関節の仕組みも利用しながらやるので、非力な者でも弓を引ける。また、腕は上げても肩は最初から上げない。