自己責任の明細書(迷惑という項目なし)

自己責任というのを、人質になった三人にすべての責任があるという言い回しで使われている向きもあけど、そりゃ言い過ぎでしょうね。
自己責任というのは、危険な場所に自らの意志で飛び込んで行くときに、降りかかった災難は自分で引き受けざるを得ないということだ。つまり自己の安全への配慮と判断に対する自分自身の責任ということであって、第三者が引き起こした行為の責任の多くはその行為者にある。
つまり日本人三人が誘拐されて人質となった責任は、彼らにもいくらかはあると思うけど、責任の多くは誘拐グループにあり、その他に事件に影響を及ぼしている要因として、ファルージャでの戦闘、自衛隊の存在、そして米国のイラク戦略と戦争などもある。
彼らにとっては思いもしなかった災難だし、政府が誘拐グループの理不尽な要求に応じられないと決定したことで、災難の度合いがいっそう増大してるわけだから、彼らに対しそれ以上のことを言えるものではないでしょう。

朝日新聞 (2004/4/14)
イラク人質事件の家族たちは14日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で、記者会見に臨んだ。家族たちは「世界に迷惑と心配をかけた」として謝罪するとともに、3人の救出のために世界のメディアに協力して欲しいと改めて訴えた。

バッシングの合唱に負けたかな。
ほんとうはこの特派員協会でやったようなスタンスを、いま外国人記者の前ではなく、最初から日本のメディアでやってたらよかったのだろう。
でも「世界に迷惑と心配をかけた」というのは、外国人に通じるのかな。心配をかけたというのはそうだとしても、迷惑というのはやはり違うと思う。

悪いニュースによってわれわれは、「他人の不幸」という資本を蓄積することができる。考えるのもつらいことだが、人は他人の不幸を楽しむものだ。カタストロフのニュースは情報を伝えるにすぎないのではなく、惨事は遠方で良かったという気持ちを起こさせるのだ。カタストロフの見物人は他人の苦しみを楽しむのではなく、自分とカタストロフの距離を楽しむ。(中略) まさに「向こうの方」での苦しみを被害なしに楽しめるということの埋め合わせとして、ショックを受けたという態度が必要になる。ショックだというのは、マスメディアの情念形式にほかならない。(『意味に餓える社会』N・ボルツ)


「迷惑をかけてる」と迷惑顔をしてみせるのも、また「三人の命を救え」と叫んでみせるのも(デモの写真で、参加者の何人か笑ってした)、ショックだという態度表明のバリエーションなのだろう。それぞれは何のことはない、自己の政治的スタンスや単なる好き嫌いに由来するものであるが、それと同時にその態度は社会化されている。つまり「世間ではこうする」という具合に、人々はある状況ではそれに応じた態度を示すことが決められているが、それに従った振舞いを自ら行い、そして相手にも要求しているということ。日本でのそれは、例えば政治家や経営者が不祥事を起こしたときに言う、「ご迷惑をおかけしました」といったようなものが代表的だ。もうひとつは、社会的事件から臓器移植まで幅広く主張される「人の命を尊重せよ」というもの。そしてそれらはふつう、マスコミが社会的正義を僭称代弁して、非難をしたり詫びや釈明を要求したりするパターンとして提示される。
つまり「迷惑をかけてる」というのは、誘拐された三人と家族を断罪せよということ意味し、それによって誘拐された三人が被害者であることを忘れ去り、それどころか迷惑をかけた加害者に置き換えられる効果がある。また(家族は除き)「三人の命を救え」というのは、人命軽視として政府を糾弾することによって、「自衛隊の撤退」が誘拐グループの要求であることを隠蔽し、自分たちの左翼市民団体的主張に添った結論に導こうとするものなのだ。
ただ、政治的な意味合いなどなしに、単に可哀想だから命を救ってほしいという人には、誰も何も言う筋合いなどないし、何も考えてない人間だなどと言われる必要など全くないと思う。何も考えてないというのは、自らのルサンチマンや左右イデオロギーを社会化されたパターンに乗せて正義ぶって声高に叫んでいるだけの人間についてこそ、言えることなのだから。

とは言え、人間はふつう社会化を免れない生き物でもあるし、誰でも多少の偏りは持っている。だが世の中には社会化をされていないで、ものの見方も偏ったどころか逆さまになっている大人もいる。それが「父の掟」(社会の掟)を排除・否認している精神分裂病者・パラノイアや倒錯者などだ。彼らは不幸な出来事との距離ではなく、他人の不幸そのものを享楽する。そしてその享楽を持続させ、より能動的に楽しむために、いろいろなこと、例えば被害者の掲示板の荒らしや、家族への嫌がらせ電話などを行なう。

 
記者会見の記事の中にあった、

 郡山さんの母きみ子さんは、郡山さんが戦地の子供たちの笑顔を撮影していたことなどを紹介し、「うちの子は自己責任と言われたらその通りだが、命がある限り救って欲しい」と訴えた。

というのが、しんみりくる。

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自作自演説、マスメディアでも言い出すところが出てきてるみたいで、バカみたい。12日のタイトル「パラノイア化する社会」の後ろに"?"(はてな)をつけてたけど、必要なさそうなのでもう取ってしまった。

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「成蹊トランスカレッジ」
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/
イラク問題に関して、瑣末なことに足元をすくわれない広い視野で、誠実な展開がなされてます。また、コメント欄をはしょってるこの閉じたサイトと違って(w)、いろいろと議論も進行中。