1/3は自業自得?

もし日本人がイラクに入ってなんらかの原因で死ぬことがあったら、それは自己責任で仕方ない。三人の場合も、ほんとうはそれで終わるのだ。だが誘拐され人質になって政府に要求が突きつけられるという、彼らだけの問題ではなくなってしまったので大騒ぎになっている。けれどもそれは、おもに誘拐グループの責任だ。また、誘拐したグループが日本人を狙っていたとしたら、もしあの三人でなかったら他の誰かが誘拐されていたかもしれないのだ。彼らにとっては巡り合わせが悪かったというのと、これは実際にどうだったかは分からないけど、他の誰かでもありえたという可能性のこと。
それと、三人でもそれぞれ事情が違う。記者はイラクに入って取材するのが仕事だから、バクダッドに向かう動機はある。彼の取材であらたな事実や情報が、私たちにもたらされるということだって考えられるし。
ボランティアの女性もバクダッドにの拠点を持って、去年から継続して活動を行なっていたのだから、仕事に復帰するのに戻りたいという理由も頷ける。
問題は高校卒業したばかりの18才で、動機が山師っぽい。現地で何も実績も基盤もないNGOだし。劣化ウラン弾被害にあった子どもたちに絵本といった臭いお題目を言ってるけど、絵本のために今のイラクに行く必要性があるのか? いや、基本的には別に行きたいところに行きゃいんだけど、イラクでの段取りなどはできていたんだろうか。同じ子供を対象にしていても、ボランティアの女性の場合は相手の顔が見えてるけど、18才の場合は……そもそも子供、好きなのかな。

三人にとっては、飛び込んでしまった災難でもあると同時に、降りかかった災難でもあるけど、18才の山師青年の場合は飛び込む必要などなかったんじゃないかな。もし自業自得という言葉を投げかけれるとしたら彼の場合だろうけど、でも自業自得というほどでもないような気がする。無茶やって それなりに+運悪く 火の粉を浴びた、という感じかな。
いずれにしても、三人を一緒にして考えることはできないと思う。


ともかくそれで[危険な場所に行った → 人質になった]という責任を問う図式には、巡り合わせといった偶然性が介在することや、何より因と果の間に入るはずの誘拐グループの存在が抜けている。それどころか、誘拐犯グループこそが問題の原因でもあるのだ。けれどもその姿が見えないこともあり、またそこは見ないようにという意識が働いているのか、因・縁・果の連鎖関係での位置は低いようだ。それでほんらい誘拐犯に向かうはずの人々の怒りが対象を失い、代わりに人質三人とその家族や政府に対して向けられているということなのだろう。それも自分たちの立場や思想信条の都合に合わせて、そのどちらかが選ばれるというわけだ。