山松ゆうきち

http://www.chukai.ne.jp/~gallery/room-yamamatsu.htm

山松ゆうきちの描くマンガは、「大きな物語」(あるいはその破綻)を志向しがちな少年・男性向けマンガの対極にある。
自伝的なマンガに、兄が父親に逆らって共産党に入り、家を出て行くというのがあった。兄弟としての親しみはあっても、山松ゆうきちは兄の立場には批判的だった。そして共産党が体現しようとする大きな物語へ反発するかのように、希望のあまりない小さな物語をつくりだす。マンガの主人公や登場人物たちの多くは、社会の底辺にいる人々だ。しかしプロレタリア・マンガにはならない。かれらは「世界の中心」で希望や連帯を叫ぶのではなく、世界の端っこで生活や生存を賭けて何かを叫ぶ。例えば車券を握り締めながら「捲れー!」とか。(w) かれらの多くは無力だ。個人の意志をも挫く (!) 運命に翻弄される。マンガにバクチが多く登場するのは、運や運命というものを物語に引き込むためと思われる。
小さな物語でも、登場人物たちは必死に運命や敵と闘う。そして人生には、個人の意思ではどうにもならない大きな力が働いていることを知ることになる。だから身も蓋もない描写のなかにも凄みがあり、そして憐憫の視点が持つ温かみもあるのだ。

    関連して、「砦の上に我等がセカイ 」さんの "「男組み」と「男の大空」" とコメント欄での議論がおもしろいです。ていうか、それを読んでこれを書いたのだけど……。