川崎和男氏の札幌市立大学学長辞退問題(1)

ビジョナリー・ディレクター v.s. ビジョンなきトップと官僚組織
 
札幌市立大学の学長に内定していたデザイナーの川崎和男氏が、辞退に追い込まれた。2006年に開校予定の札幌市立大学は、市立札幌高等専門学校と市立高等看護学院を併合してできる新しい大学で、川崎氏の人選は上田札幌市長によるもの。どちらが辞退の話を言い出したかについては、「就任を辞退してきたのは川崎氏」とする市側と「辞退するとは言っていない」とする川崎氏で見解が違っていた。どっちがホントなんでしょ。どうもそのへんは新聞記事を読むかぎり、川崎氏が学長を辞退したというより、市と市長による内定の取消しのようだ。

毎日新聞 2004年8月21日
札幌市立大学長内定辞退、名古屋市立大学・川崎和男氏「なりたかった」

札幌市立大学(初代学長)の内定を辞退した名古屋市立大学大学院芸術工学研究科の川崎和男氏(55)が20日、毎日新聞の取材に「初代学長になりたかった。市民や生徒に申し訳ない」と無念さをにじませた。
川崎氏は市立高等専門学校、高等看護学院の教員を優先して採用選考する2段階公募制は「公平ではない」と指摘したという。さらに、法人化に伴う細かい運営方針も提案したが、大学設置準備委員会や市には理解されず、リーダーシップを発揮できない感覚があったと説明した。
上田文雄市長に送った「辞退届」の電子メールは「このままでは、辞退せざるを得なくなる状況を絶叫したつもりだ」と説明。名古屋市の自宅を訪れた上田市長が「(状況を打開するのは)難しい。辞退していただけないか」と言われて辞退を決めたという。

 
また、Academia e-Network Projectというサイトの「全国国公立大学の事件情報」に、辞退関連の北海道新聞記事があります。そこに川崎氏への電話インタビューがあったので引用してみる。
Academia e-Network Project
「札幌市立大、市長が学長を切った!? 教員の人事権・選考方法で対立 トップダウン望む川崎氏VS上田札幌市長」

*川崎氏との一問一答
*「私は『看板』で人事権もない」

「札幌のみなさんに申し訳ない」―。札幌市立大の学長就任を辞退した川崎和男名古屋市立大大学院教授(55)は二十日、北海道新聞の電話インタビューに応じ、辞退に至った経緯や現在の心境を語った。一問一答は次の通り。(聞き手・渡辺創)
――就任会見からわずか一カ月半しか経(た)っていません。なぜ辞退したのですか 
「私の側から『辞めたい』と言っていません。ただ、デザイナーとしての力やアイデアを生かし、二十一世紀に通用する新しい大学を作るための条件が、札幌市側との間で折り合わなかった。私は最後まで最後の最後まで『札幌に行きたい』と言い続けたのだが…」
――その条件とは何ですか
「例えば教員選考の基準。私は実力のある優秀なスタッフをすべて公募で選ぼうと思っていましたが、私に人事権は与えられなかった。教員はすべて英語で講義ができる人材を、という考えも拒まれました。IT関連のベンチャー企業と連携して、新産業育成を目指すというアイデアも受け入れられなかった。資金援助を約束してくれた企業も二十社はありました。私は要するに『看板』で何もするな、ということです」
――六月三十日の学長就任会見では「札幌に骨を埋める覚悟だ」と話していました
「昔、札幌医大を受験したころから札幌への思いはずっとありました。デザイナーとしての仕事はやり尽くしたので、残りの人生は教育者として札幌で頑張るつもりでした。こうなって残念です」
――川崎さんに期待を寄せていた人は多かったのですが
「札幌市民や上田市長、北海道の方々には本当に申し訳ないと思っています。特に市立大学を目指してくれた若い人たちをがっかりさせ、結果的に裏切ることになってしまった。社会的責任を取るため、教授に就いている名古屋市立大や阪大には辞職願を出しました。ただ、デザインと看護を結びつける札幌市立大は今後、必要な存在になるのは間違いない。これまでかかわった以上、市立大を支援していく気持ちです」

 
両者のいちばんのギャップは、どんな大学にするのかというビジョンやミッションを持っているデザイナーと、ビジョンなんかどうでもいいからとにかく既定の路線と権限を維持したいという役人との間の、考え方の違いにあると思う。大きな争点にもなっている教員採用問題――川崎氏:スタッフをすべて公募したい v.s. 市側:現高専教員の優先採用を考えている――には、そのへんの事情が端的に表れている。とくに「教員はすべて英語で講義ができる人材」(名古屋市立大ではそうしてるらしい)となると、条件を満たさない教員も少なくはないだろうし。ただ川崎氏も不採用教員については、そのままクビというのではなく、学内に別組織を作ってそこで吸収するという考えを持っていたようですね。
こういう結果になった大きな原因のひとつは、札幌市の役人たちが現在の高専と高看や今度できる市立大学を、自分たちのテリトリーだと考えてることにあると思われる。いちおう建物も教職員も市に所属するものだし、何らかのかたちで市の行政とかかわりを持っている教員もいるようだ。また高専設立から大学構想まで市が推進してきたことなので、外部の人間に口出しされたくないという考えがあるのだろう。とくに人事権については、一方は優秀な人材を確保するための手段としてとらえ、もう一方は人事にかんする権限の行使力や市の組織のためと考えている違いがあるといえる。要するに役人たちは、札幌や市民の将来のために最もふさわしい大学を構想していくのではなく、自分たち組織の都合を優先させることしか考えていないようだ。
そのへんに関しては、次のサイトでも疑問が投げかけられています。
北海道経済産業新聞
札幌市立大学・初代学長予定者川崎和男氏、学長就任を辞退/2004-08-20

札幌市側では合議制を重んじ、手続きを重視しながら大学設立に向けて準備してきたが、川崎氏の新大学への思いをそこに汲みきれなかったのではないか、としている。
 しかし、新大学の設置準備も、いわば“デザイン”の一種。川崎氏のデザイン能力に対して札幌市側が追従しきれなくなったということも考えられる。いずれにせよ、札幌市にとっては大魚を逸する結果となり、勿体ない限りだ。
 
(2004-08-22追記) その後、一般各紙報道によって、川崎氏から辞意を表明したものではない旨が明らかになった。旧高専関係者に対する優遇措置に不満があったとも、会議中に川崎氏が激昂した場面があったとも、同時に伝えられた。
 果たして札幌市が重視したのは「市民参加」であったのか、それとも「組織維持」であったのか。

「新大学の設置準備も、いわば“デザイン”の一種」というのはまったくそのとおりだと思う。べつの言葉でいうと、組織デザインも含めたグランドデザインはビジョンになる。(公共的な責務や大学の存在理由としてはミッションになる。) だから初代学長の予定者としては、これから出来る大学についてビジョンを示すのは当然のこと。実際はいろいろな要素がからんでくるので、多少の妥協や修正は必要になるかもしれないが、根幹のところは変わらないはずだ。
つまり新しく企業を作るときと同様に、ビジョンやミッションが必要とされるのだ。新規に創設する場合ではなく、既存の組織などが新しく生まれ変わるときにも、日産のカルロス・ゴーンのように強力なビジョンが必要になってくる。ビジョンはふつうトップこそが示せるものであり、またトップの権限でもってトップダウンで衆知徹底されることになるのだ。
そこのあたりをきっちりと指摘しているのが、
jouji_2_99の日記 さん
d:id:jouji_2_99:20040820#p1

「公募は一般も高専の先生も同じ土俵でやるべきだと思う」
「教員の選考基準に「英語で授業ができること」の要件を加えるよう提案」
「市立大を核にしたIT、エコロジー関連の街づくりの提案もしたが、「そこまではいらないです」と二の次に」
といったところが問題になったと。一番最後のは「私のシンクタンクからの提案」というところでちょっと怪しいものを感じないこともないですが。それはともかく、前二者を札幌市側が断った理由というのが「準備委員会で話し合っていない」から、つまり「みんなで話し合っていないから」というのは私もどうもなー、と思う。こういうことってみんなで話し合った結果がベストになるとは限らない。つか、たいていムダなことが多いと思います。トップが責任をとるつもりならばこの程度の独裁は認めた方がいいかと。

確かに「みんなで話し合う」というのは曲者で、手続きばかり民主的とか透明性とかいってもけっきょくアウトプットがタコ、ということがありますね。また、あらかじめ(役人などの作った)筋書きがあって、手続きとして「みんなで決めました」というアリバイがほしいだけというのもあったり。なかにはそういうのでも構わないものもあるとは思うけど、新しい大学を創設するのにそれはないだろうという気がする。
そもそも川崎氏への学長内定だって、トップにいる市長だからこそ行なえたものだ。そしてもし学長候補として実務経験にもデザイン能力にもビジョンにも欠けるような人物を選んだというならまた話は別だが、それと正反対のタイプの人物に声をかけたわけだから、それ相応の対応が求められることになる。つまり市長には、人選の段階で学長予定者の示すビジョンの妥当性を判断し、もし妥当と認めたなら彼に権限を付与するなり、それ相応のサポートが求められるのだ。そして市長の意志は、とうぜん役人や計画策定委員会にも伝えられるはずだ。(まあ、後知恵で好き勝手なこと言ってますが……。汗)

けっきょく今回上田市長が優先したのは、いい大学を作りあげてゆくということよりも、市の幹部職員との摩擦を避けて折り合っていくことなのだと思う。札幌市の上田市長は革新系(民主党)ということになっているけど、北海道の場合は革新といっても各種労組が主体なので、自民党と変わらないくらい保守だったりする。札幌はこれまで長い間、市の助役あがりが市長をやっていたので、弁護士あがりの市長はそれよりもっとマシかなと思ったけど、たいして変わりないかも。
 
それとデザイン系高専と看護系学校の合併ということに関して、それら二つの異質なものを単に合体させても、単にデザイン学部看護学部のある大学にしかならないでしょう。おそらくデザイナーなら、その二つの組み合わせの妙で、次元の異なる新しいものが生れそうだという予感を持つはずだ。おそらく川崎氏は、そこのところに非常に大きな可能性を見ていたのではないかと思う。
デザインは適用範囲が広い。看護はケアと読み替えると、これも対象となる範囲がかなり広くなる。デザインとケアとが結びついてできるものは、たんにモノとしてのバリアフリーユニバーサルデザインにとどまらない。なによりそこから文化が生れるのだ。そしてそれこそ北海道や札幌に欠けているものだったりする。
札幌高専は初代学長に建築家の清家清氏が選定されていた。おそらくそれはサプライズ狙いの人選でもあったように思う。そして今回も川崎氏が「私は要するに『看板』で何もするな、ということです」とコメントしていたように、けっきょくは大学のPRと学生募集のための客寄せパンダとして、話題性のある川崎氏に依頼してみた、というところなのだろう。
でも「看板」扱いというのは人のやってきた仕事に対するリスペクトが欠落してるということであり、とくに才能や実績のある人にはとても失礼な話なのだ。そのへんの役人と市長の無神経さは、どうしようもないという感じがします。
 
■ 9/10 追記:リファーしていた一部を都合により削除しました。

(2へ続く)