回転ドア事故は母親に責任にがあるのか?

六本木ヒルズ回転ドア事故について、母親に責任にがあるという話も出てるみたいで吃驚した。手をしっかり握って離れないようにしてなかったからだって。じゃあ、手錠でもかけて繋いでおけというのか。だいたい、街なかの商業施設やデパートを一人や友だちと歩いてる6、7才くらいの子供なんか、べつに珍しくもないっていうのに。それに六本木ヒルズって、親が絶対子供の手を放してはいけないくらい危ないところだったということなのか? たしかに危ない場所だったわけだけど、そんな認識を誰も持っていないからみんな行くわけだし。それにふつう6、7才くらいの子は、マザコンなら仕方ないけど、常時親と手なんかつないでられないだろう。親だって事情は同じだろう。べつに手をつないで川を渡るわけじゃないんだから。
要するにつまり母親に責任があるというのは、全くピントを外してる、現実を無視した空論なのだ。それどころか、もし親の責任ということにして回転ドアをそのままにしておけば、必ずまた被害者が出るだろうから、何の問題解決にもならないのだ。

親の監督責任を持ちだすのは、それによって技術と安全の問題やバリアフリー、そして回転ドアを設計に採用したことの可否といった問題を抜きに、話を単純なものにおとし込むことができるからなのだろう。
でも実はそういう人たちは、常日ごろから何らかの思い込みやイデオロギー心理的事情によって、親の責任を言い出せるような機会を待ちわびているのではないか。自分はそういうミスをしない立派な親である(あるいは親になる)ということを言いたいために。
そして親にも責任があるという人たちの主張は、マスコミ批判とセットになっていたりする。いわく、マスコミはここぞとばかりにメーカーやビル側ばかり叩き過ぎる云々と。
でも新聞記事を読んだ限りでは、不当な書き方はしてなかったと思うし、(前にも書いたとおり)どう考えてもメーカーやビル側のに非がある。
「もはや国民のスポーツと化したメディア・バッシング」(N・ボルツ)という感じ。そうしてしたり顔でマスコミ批判をする人も、実は日ごろからそういうことを言いたくててウズウズしてるのだろう。

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(その後の訂正)
事件に関して、けっこう紙面で大きく執拗に扱いつづけた新聞もあったようです。