理不尽な論理は外に出る

 ルワンダ内戦後にも日本のNGOが入って、難民キャンプなどで支援活動をしていた。当時まだ情勢が安定してなかったので、PKOで派遣された自衛隊の隊員がNGOスタッフの護衛に当たったりして感謝されていた。もしあのときにNGOのスタッフが誘拐されるようなことがあったら、やはり今回のようなリアクションが起きたのだろうか。

 内戦や戦争で被災し助けを必要とする人たちがいて、そういうところで援助をしようというボランティアやNGOなら、ある程度危険な目にあうのは覚悟の上でしょう。今回だって殺されてもおかしくないわけだし。ほんらいなら誘拐の被害者なのに、なぜか迷惑あつかいされてる。どこに行こうといいじゃないの。

 今回の出来事で「迷惑をかけてる」というのを大上段に振りかざしてる人たちは、いったいどれだけ迷惑をこうむってるっていうのよ。
 ちなみに、私なんかは別に迷惑はかかってないけどね。迷惑をかけてると言う人が、もし日本国政府や日本国民を代表したつもりなのだとしたら、偉いんですね って感じ。政府は、邦人保護は「仕事の内」だから仕方ない。ていうか、その仕事を作ったのは誘拐グループなのだけど。
 確かにちょっと腹の立つイヤな気持ちだけど、その感情は主に誘拐グループに向けられてる。(その他に、イラクでドタバタ紛争を起こす原因となった米英の戦略とか、あと、辿ればサダム・フセインにもあるけど。)

 誤解されるかもしれないけど、今回の事件は、もし当事者でないなら、誘拐グループの無理難題の枠組みに入らない方がいいんじゃないかと思う。こういう無茶な要求は、例えばコイン投げで「表が出たら僕の勝ち、裏が出たら君の負け」というのに似ていて(ほんとは似てないけどw。こっちのロジックではどっちにしろ負ける)、そのロジックの枠に入ってしまうと非常に精神的に悪く、答えを見つけられなくて苛立ったり、ヘンな答えを出してしまったりする。それで、枠の外にいて、答えは出さないのがよいです。でも、もしかして三人は殺害されるかもしれない。けれどそれは、気の毒でかわいそうだけど、どうしようもない。直接誘拐グループに影響力のあるところにメールでもできるならいいけど、それもできないし、アルジャジーラにはジャーナリストのグループや関係者がメールを送ったりビデオ出演してるし。

 あるメーリングリストで「こうすべきだ/そんなのダメだ/撤退すべきだ/危険な所に行くのが悪い etc.」と意見が衝突していて、無理難題を受け止めてしまった苛立ちみたいなものが込められていて、気分が悪かった。なかには「こうしていろいろ意見が出るのはいい」と言ってた人もいたけど、かえって意見が出ない方がいいと思った。(別に議論をするなって意味じゃなく、議論が対立するなかで自分の政治的スタンスを鬱屈とした心情に乗せて表明したいだけだから。それもクリシエばかり。)
 問題の枠の外にいて、無事解放されるのを期待して待つ。人の命がかかってるのに無責任だとか日和見だとか言われても、それしかないと思う。
 ただ、見ててそれはちょっと違うよというのがあったので、ここに感想を書いたりしてるわけだけど。
 以下、ちょっと疑問を感じたこと。


・批判したい対象から出発して、迷惑だと言ってる

 人への迷惑は、It would happens to you. たとえイラクに行ってなくても。

 迷惑だと主張する人は、
  ・自衛隊が撤退することになるかもしれないと苛立ってる人
  ・内閣支持率の下落が心配な人
  ・ボランティアやNGO活動そのものが気に入らない人
  ・彼ら人質の左翼市民グループ的スタンスが気に入らない人
  ・人の迷惑行為さがしに熱心な人
ということなんでしょうね。批判したい対象が先にあって、そこからものを言うという逆さまなことやってる。そういうのはご都合主義だから、条件(捕まった人間の職業など)が変わったら別なことを言い出したり。


・誘拐グループの無理難題を利用しない

 誘拐グループの自衛隊撤退要求を「イラク派遣の自衛隊は撤退すべき」という主張や運動に結び付けるのは間違っていると思う。「それはそれ、これはこれ」の関係。

 だから今回の件で市民グループが運動として、救出のための自衛隊撤退の署名を集めたり政府にFAXやメールを送ろうと呼びかけていたのは疑問に思う。
 個人的には、自衛隊が汚い戦争の下請け業者となって、今イラクにいるのはおかしいと思ってるけど、それと誘拐グループのトンデモな要求を飲む飲まないとは話が別ということ。