「蛍」

吉村昭 『蛍』(中公文庫)

もし人生というものが偶然と必然を縦糸と横糸に紡がれるひとつの織物のようなものだとして、その糸が突然プッツリと切れてしまったとき、それはどちらの糸が切れたと特定することはできるのだろうか。
この短編集の表題にもなっている「蛍」は、幼い子供の不慮の死という不幸な出来事をめぐる、いいようもなく哀しい話だ。話は主人公が長兄の住む町に列車でやって来たところから始まる。甥っ子に当たる長兄の三才の息子が川で溺れ死に、その葬儀に出るためだ。
ところで(前にも書いたけど)「悲劇」というのは、主人公が死んで物語が閉じられたところで、そうなることが宿命であったという思いが感慨とともに呼び起こされる。古典的な「悲劇」が人の心を打つのは、カタルシス効果だけにあるのではない。人間の想いや意志や希望といったものをはるかに超え、人間の及ばない運命や宿命といった不可思議で壮大な力の存在に触れたときの、人間が抱く身震いをするほどの畏怖にこそ悲劇の核心があるのだ。「悲劇」を通して人間は、自然や神の領域に触れることができるのだ。主人公は悲劇に身を投じるサクリファイスとして選ばれた者であり、演じられる劇場は供犠が実演される舞台となる。
だがこの小説では、悲劇が起きたあとに物語が始まる。運命に影響を与える超越的な存在とは縁の薄い現代の物語であり、死んだ子供も幼くて悲劇を担うべくもなく、またその死には運命というより人為的な側面が際立っているという、救いようのない悲劇である。あとに残された者たちは、閉じることのできない悲劇を前にして、苛立ちに声を上げ、あるいは戸惑いに沈黙する。

事故の様子については、別の兄から明らかにされる。小学六年の長女と小三の卓也と五歳の弟の三人が、川に蛍を見に行ったのだ。長女が目を離していた隙に、兄の卓也が弟と川岸に泊められてあったボートに乗り、卓也がボートを揺すり遊んでいた。そのうち弟が怖くなって立ち上がり、そのはずみに川に落ちて溺れてしまったのだ。
父親は長男の卓也のせいで末の息子が死んだのだとして、卓也にたいし憎しみの感情さえ抱いている。 一緒に蛍を見に行っていた長女も、自分が弟たちを見ていなかったせいで事故がおきてしまったのだと思い、ショックで寝込んでしまう。当事者の卓也は、自分が関わって起きた事故であるとの認識はあっても、心理的にそのことを回避しようとしているのか、父親の態度には戸惑いを感じている。
ここでも単純化された因果関係の解釈によって、人が苦しんでいる。五歳の子が死んだ原因について、父親は長男のせいだとして怒っており、長女は自分のせいだと思い悩んでいるのだ。だがいちばん困難さを抱え込んでいるのは、それを否認しようとしている卓也かもしれない。いずれは事実に直面しなくてはならないからだ。
通夜の夜、次兄から頼まれ卓也と同じ部屋で寝ることになった主人公は、眠りにつくベッドの中で卓也から当夜の蛍の話などを聞かされ、やりきれない思いを感じる。そうした悲劇に巻き込まれた各人のありようの描写が、出来事の外にいる主人公の語りで進められる。

たぶん宗教というのは、人の死を含め、出来事の偶然とも必然とも言い切れない部分を神や仏といった超越的なものに預けてしまう役割も持っているのではないだろうか。近代というのは科学的な因果関係の把握と数量化によって発展してきたといえるが、人間をとりまく出来事については取り残されたままだ。それどころか、神の位置を科学と人間が占めるようになったら、担え切れないものが残ってしまう。科学では事象に関係する諸条件やファクター(縁)を拾い上げて説明をつけてはいても、人間の身の回りに起きる出来事については、いっそう単純な原因−結果関係に落とし込んで考えてしまうことになる。前にも書いた、<因>と幾つかの<縁>があって<果>がに結ばれるというのではなく、すぐに単一の原因に帰して「誰かれのせいだ」という話になってしまう。

とくに家族や親しい者の死は、「何故・どうして?」というやりきれない疑問が宙吊りにされたまま残る。それに加えこの小説でも、「誰のせい」という単純な因果関係が軛(くびき)となって、残された者を拘束している。それを外すのは確かに難しいだろう。そうした枠の外にいる主人公も、言葉を飲み込み寡黙でいることが多い。事故の主要因は長男の卓也の悪戯にあり、いちおうは過失責任というものがあるとしても、ほんとうはそれ以外に関与したものはいろいろあるのだ。主人公は卓也の弟にたいする嫉妬心も読み取っているが、それは長兄が末の息子を甘やかしていたことに由来する。事故はいくつかのファクターの巡り合わせが悪くて起きた不運でもあるのだが、長兄は卓也を憎むあまり、葬式に出席させないとか家に置いておけないとまで言い出す。それにたいして主人公は戸惑いをおぼえ、長兄の望むとおりに卓也を自分の下宿に連れ帰ってもいいとまで考える。
時間が悲痛を希釈してゆくまで「終わりなき悲劇を生きる」しかない人々への作者の眼差しと、透徹した心理描写に打たれた作品でした。

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織田作之助の『蛍』(ちくま文庫)も非常に感銘深い秀作です。