海外協力[A面]

いま世界中の発展途上国に、日本人がNGO青年海外協力隊や個人ボランティアなどで行ってます。もしかして彼らは、ショボいNGOだったり、ヒューマニズムに駆られただけの単純な若者だったり、第二の人生を人の役に立てたいという定年退職者だったり、ときには左翼的市民団体のメンバーだったりするかもしれない。でも、それぞれにどういう動機や思想的バックボーンがあるにしても、困窮してる国の人にとっては、外国人が来て援助してくれるというのはすごくありがたいことなのだ。日本人が来て助けてくれたことは、おそらくそこの土地でずっと語り継がれてゆく。
そうして彼らが日本という国や日本人のイメージアップに貢献して、それがまた日本企業のビジネスを後押しすることにもつながってゆく。もちろんビジネスだけじゃなく、文化や人的な交流なども含め、お互いが豊かになってゆくことができるわけです。

ちょっと表現が大袈裟かもしれないけど、仕事で外国に行くとみんな所属や主義主張を超えて「日本人」になるのです。普段は日の丸には好き嫌いも思い入れもないニュートラルな気持ちしか持っていないけど、外国の会社を訪問したとき、建物の前のポールに歓迎の意味で日の丸が上がってるのを見たりしたら、なんとなく嬉しいものです。
おそらく途上国の「こんなところに…」というような場所で日本人が働いてるのに遭遇したら、たぶん感慨が湧いてくると思います。どんな組織の所属かなんてあまり関係ない。商社マンや外務省職員にもいろんな人がいると思うけど、たぶんそういうのを大事に思ってる人も多いんじゃないかと思う。

そうして途上国で働いてる人たちから比べたら、脳ミソだけで「無責任だ」とか「迷惑だ」とか喚いてる立派な人たちなんか、うるさいだけで何の役にも立ちやしない。少しは論理的思考でも展開してくれるならいいけど、無意識にある妄想やルサンチマンや自己愛的心情を体裁よく吐き出してるだけ。そうやってまるで小姑の集団みたいに「自己責任だ、費用請求だ」とか合唱して糾弾をやってる。
そして人質の家族も、必死なのは分かるけど、支援団体の政治運動とも連動してヒステリックにやるものだから、けっきょく墓穴を掘ってしまってる。そして両者の合わせ技によって、三人はまるで悪いことしたみたいに日本に帰って来てる。それがどんなに異様なことか、パウエルやルモンドに教えてもらっても分からない人が多いらしい。それどころか、「自己責任だ」という主張の喧伝じたいが一種の情報操作であり、三人の仕事を貶めるために利用されているということにも気がつかない。実際なんとなく、迷惑をかけた無責任な人たちということにされ、今のところその効果は表れているわけだけど。

そうした自己責任−費用請求の根拠として例えば登山の遭難時のケースに喩える見解もあるけど、長期間滞在してその土地の人々のために働くNGOやボランティアと、自分が楽しむために行なう登山とを比較することなどできない。またその延長にある山の清掃ボランティア然りである。さらには、ジャーナリストにたいし誘拐されたから責任を負えというのも、相当に異様な話なのだ。


それにしてもどうしてみんな急に、校則を守ろうという生活指導教諭みたいなこと言い出したり、国家の財政支出に関心を持ち始めたり、人に迷惑をかけた子供を持った親の振りをしてみたり、テレビ映りを気にしながら迷惑顔や怒った顔をしてみせる政府首脳に感情移入したりするのでしょう。