いまだ冷戦構造に生きる人たち

最終的に「自己責任」という言葉に集約される、人質とその家族にたいするバッシングは、一体どこから来たのだろうか、ということなのだけど・・・、
それには人々の心情にある次の二つが関与していると思われる。

  1. (冷戦時代から続いて今も残る)左右勢力の対立構造における、一方への肩入れと思い入れと他方への敵愾心。
  2. 社会化された振る舞いが要求される場面での、逸脱的行為や言動にたいする反感。

2については、精神分析医の斎藤環による、主張する弱者が主張する強者よりも憎まれて「主張する弱者」叩きが行なわれた、とする見解があるようだ。(そのへんも、女性にも反感を持たれた理由と思う。)
「傍観者日記」
http://d.hatena.ne.jp/naozane/20040422#p9

1の左右対立の意識に由来するものは、保守系マスコミから2ch ウヨに至るまで幅広い。
その最前線にいるのが、妄想の中で左翼勢力と戦っている2ch のパラノイア・倒錯のウヨ*1で、今回は人質になった三人のうち二人が左系だったのと女性がいたことで、「享楽」を求めた妄想が全開フル稼働したようだ。彼らの戦いは、武力ではもちろんなく、情報戦と嫌がらせが主体だ。
2chウヨの中心は少数の引きこもりの精神病者だが、周辺にはさまざまなレベルで、左側の勢力に対する憎しみや敵愾心を持ち続けている人たちがいる。彼らは学歴や知識などへのコンプレックスや、満たされない現状の自己と社会・仕事・生活環境へのルサンチマンなどを抱え込んでいて、それらの鬱屈とした心情が敵意として左側に向けられている。
そういう人たちは元々「左翼自作自演説」などの駄話に本気で乗りやすい要素を持っていたし、それに人質の家族のあまりにアレな対応は、そうした人たちに怒りの火をつけてしまった。

それとは別のところで、政府はやっかいな問題を抱え込んでしまったと言える。人質の生命をどうするかということだけでなく、派遣自衛隊の法的根拠のことだ。三人が人質にされたことを「避難勧告が出ている危険なイラクに行く人間が悪い」とすると、こんどは「もしイラクが避難勧告が出されるくらい危険だとすると、自衛隊がそこにいる法的根拠も失われる」という矛盾が生じるのだ。
おそらくそれで、問題の枠を広げずにすべてを個人レベルに押し込めるために、「自己責任」という言葉が持ち出されたものと思われる。
保守系のマスコミや評論家は、情報と非難と煽りを混ぜながら保守側(現政権側)に世論を誘導するのが商売だから、意図を読み取って三人の自己責任という論調を出し始める。さらにゴシップを商売にする週刊誌によって、喰い付きやすい餌として人質と家族の「正体の暴露」がなされる。女性の家が豪邸だというのは人の嫉妬心にも火をつけやすいし、左翼という政治的背景もゴシップネタになるようだ。
それに前述の左翼に対する不満層や「主張する弱者」叩き層が乗って(乗せられて)合唱を始めた、というところだと思う。
政府としていちばん困るのは、三人がほんとうの「弱者」になることだ。それであくまで「自己責任」で通すつもりなのだろう。

「自己責任」については日にも書いたけど、そもそもエラい騒動を起こした原因の大部分は、三人ではなく第三者(誘拐グループ)にあるのだから、その責任について言及しないで三人だけにすべてを帰そうとするのは無理があると思うけど、その無理、通るのかな。

しかしこんど逆にどこかの政党が人質になった三人を利用して攻勢をかけられても困るし、もう左右対立で情報操作戦や何やらゴチャゴチャやられるのはウンザリだ。ある意味、左と右は共依存みたいな関係なんだろうなあ。


関連として以下のblogもどうぞ。
「逃避日記」
http://le-matin.air-nifty.com/asalog/cat783881/index.html
「nobuのメモ帳」
http://web.sfc.keio.ac.jp/~lune1978/mt/archives/000924.html

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*1:これについては 12日の日記参照