法に立脚した「自己責任」について

当事者に責任があるというなら、そして実際に費用を請求されるというなら、はたしてその責任がどの程度まで認定されるのかについて、情緒的にではなくロジカルに考えるべきものでしょう。
ということで以下のサイトには、端的に法の立場から(もちろんその人の個人的立場というのはあるけれど)記述されています。
[swan_slabの雑記]
今回の自己責任論という名の「迷惑論」 http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20040422
被害者としての日本政府について http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20040423
事件そのものについての観点から問い直されています。

今回の事件は「危ない地域をチョロチョロしてた日本人を救出しなければならなくなった事件」なのではなく、【イラク武装勢力が人質をとって政府の統治行為を脅かそうとした事件】なのです。

法の問題として捉えるとある意味(べつに皮肉ではなく)身も蓋もない。けれども、人質やその家族にたいしてまき起こった感情的な不満はそれはそれとしても(私も傲慢さと政治性を露出させた家族にはいい印象を持っていないし)、人に何かを負わせようとするなら、身も蓋もないフェアな判断こそ必要なのではないだろうか。

そこのサイトにあった、去年富山県で起きた冬山遭難事故に関する過失責任の有無に関する論考もとても秀逸だと思いました。
「登山研修と死亡事故〜過失の有無」 http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20030920

 
マスコミは自分たちの政治的または商売上の都合や思惑によって恣意的/情緒的に人を糾弾するのではなく、責任の有無の判断などはもっと論理的に判断するか、もしくは専門家に意見を聞くというふうにすべきですね。