正体を暴露すると「愛」の力だったとか

N・ボルツが『意味に餓える社会』のなかで、近代世界が科学・技術的に脱魔術化され意味(正義や真理など)を喪失してしまったことと、その空白になったところに意味を与えようといって様々なところから持ちかけられる証文や療法などについて書いている。それらは高度消費社会が仕掛けるマーケティング戦略や尊師やコンサルたちの言葉、そしてマスメディアの語りであり、例えばダイエット、フィットネス、セラピー、お喋りなどとして提供される。それとともに、意味をどこか他に創出しようとする人々についても言及がなされている。例えば環境問題や第三世界にそれを見出す人たちのことだ。以前に引用した「不幸な出来事との距離を楽しむ」人たちとセットといえるのだろう。
確かにボランティアをやっているのは、「人の不幸や困窮」を必要とする人たちが多いかもしれない。でもそれは、カウンセラーは困窮を必要とする人がなる職業だとか、カウンセラーには本人こそカウンセリングを必要としてなってるというのとあまり変わりないのではないだろうか。実際カウンセラーは、食べてゆくのは大変なようだし。
それと社会集団にうまく適用できる理論があったとしても、具体的なAさんBさんといった個々人の行為の妥当性を判断するときに使えるとは思えない。また、人は困窮している者に手を差し伸べるものだといった人間の行動原理は、共時的な社会理論を超えてゆく。

たぶん単なる「困窮嗜好症」の人なら、ふつうはわざわざ危険なイラクなどには行かない。どうもイラクで人質にされた彼らには、個人的動機の強さが関係していたように思える。18才の大学生の場合は、一旗揚げようという野心の大きさだと思う。そしてボランティアの女性の場合は……、やっぱ「愛」の力(!)でしょうな。そりゃあ想像力の欠けた自己愛人間には分からないって。ちなみに、ビジネスでも多くの仕事でも、基本は「愛」なのだ。(あまり大きな声で言ったりはされないけど...)

物理的にも情報的にも世界との距離が縮まった時代に、遠さの感覚が人それぞれによって違ってくるのは当然だ。また、日本の自動車や家電製品などが世界の隅々までに浸透してゆくなかで、個人やNGOの活動の範囲も同様に広がってくるのは当然だ。実際に機能として日本のPRや外務省のODAなどを補完する役割を果たしているのだし。
思うに、距離感の喪失にはおそらく「物語化」も関与している。出来事を物語として認識し、そこへのアクセスが可能ならば、物語世界へ自ら赴いてみようとする者が現れても不思議ではないのではないだろうか。(ディズニーランドや映画のテーマパークもそれで食べてるわけだし。) それは個人的物語の枠内でのヒーロー/ヒロインであり、またその願望であるかもしれない。でもふつう皆それをやっているか、やろうとしていることだから、それじたいべつに問題などない。だが、ヒーロー/ヒロインがなんらかの原因で個人の枠を飛び出してしまったとき、周囲から叩かれることにもなる。自己同一化できないヒーロー/ヒロインなどは、妬みや非難の対象にしかならないからだ。また対立するプロットを想い描いている者たちの反発も、当然買うことになる。非難は逸脱行為(政府の退避勧告の無視など)に対して為され、迷惑者というレッテルを貼られて、物語のヒーロー/ヒロインの座から引きずり降ろされることになる。その際しばしば手段として「真の『顔』の暴露」が使われる。「本当はヒーロー/ヒロインなんかじゃない、正体は……」、というわけだ。
このバッシングの仕組みは、叩きが恒常的ではないという点を除いて、「いじめ」に似ている。いじめる対象へ向けられた、規範からの逸脱への過度の着目、安全な立場からの一方的な非難、属性や所有物の剥奪、「真の『顔』の暴露」、心理の底にある妬み、集団的自我に従う「享楽」などがそっくりに思える。

記者会見に男性二人が出てきたのは、自分たちのイラク入りの正当性を信じているからで、そのことは非難にあっても揺るがない。一方ボランティア女性が出席しなかったのは、人質にされたショックだけでなく、行為が根底から否定されたので(存在が否定されたにも等しいことになる)、立ち直るのに時間がかかってるということのような気がする。ほんとうは彼女自身が希望してたとおり、バクダッドでのボランティア活動という自分の課したミッションに復帰するのがいちばん良かったのだろうけど、なんせ帰国させて釈明や詫びを言わせようという人たちが小姑みたいにうるさいものだから。

で、「オホーツク新聞」というローカル新聞サイトにあった高遠さんのインタビューを見つけた。
http://www.26cluster.ne.jp/news/sp_iraqi053.asp
根性ある。体張ってるじゃないの。 こういう人を叩いちゃだめだよなぁ。

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Weblog書いてる人間のなかには、自己顕示・妬み・投影の三つくらいで心理的背景の説明がつくような、どうしようもないヤツも多いね。高遠さんに対する相当に酷い書き方をしたのがあり、非常にイヤな気分になったこともあって、こうして二回続けて書いてみた。