世界の限界は計算可能な限界
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――思考のなか、思考のまわり、思考のしたにあって、思考されていないもの、しかも還元不能な越えがたい外部性により、思考にとってなお無縁でないもの… (M・フーコー)
――知は広がってゆくにつれて非-知のなかに消えてゆく (J・バタイユ)
世界を数理や言語や理論などで表現し尽くしたいという過度な欲望は、神経症なのかもしれない。でももし言い尽くすことができたと思ってるとしたら、神経症をもっと越えて逝っちゃってると思う。というのも、それぞれの分野が「世界」の一部でしかないということと、さらに個々には、数学モデルを立てられる限界、言語の限界、そして理論の限界という、二重の限界が存在しているからだ。だから社会科学の理論などで「世界」が分かったように大そうなことを言ってるひとを見たりすると、なんだかねぇ……と思ってしまう。それこそ欲望にたいする「父」が効いてないというか、「父」になりたいというか。