官僚型組織について

阪大応用物理学の河田聡教授は「予測の不可能性」という文脈のなかで、川崎氏へのリスペクトを込めて次のように書いている。
Prof. Kawata's Cyber Lab.
オリンピックとカオス 2004年9月6日

イラク戦争も、カオス化しています。ブッシュ大統領や小泉さんは、計画通りに事が運ぶと信じているのでしょうが、相手との強い相互作用の戦争の結末を線形系の確率論で論じることはナンセンスです。ベルリンの壁が一夜にして崩壊したような急激で予想外の変化が、イラクでは逆に起きうることだってあるのです。アメリカはベトナム戦争でそのことを学んだとばっかり思っていたら、残念ながら未だ線形近似の世界にいたようです。私が盟友と慕う川崎和男氏は、彼の夢の実現の手段である新設の札幌市立大学の学長ポストを、最後になって捨てました。常識と経験の世界に生きる札幌市の方々には、およそ想像できないであろうことが起きたのです。でも、私は、ずっと想像していました。着任前か着任後か分からないが、いつかは起きうるであろうことと。人と人との関係や人と組織の関係は、足し算は引き算で表されることではないのですから。

「予測理論が使えるのは、足し算・引き算が使える弱い相互作用の線形系の世界の場合だけ」で、強い相互作用が生じる複雑性の高いケースでは、何が起きるか分からないとのこと。
その複雑性・不確定性の世の中で、特に何ごとも予測範囲内で押し進めようとするのが官僚組織だ。ハイアラーキー組織(官僚型組織。文字どおり官僚組織がその典型)というのは、機能集団ではあっても、何よりの優先項目は組織自体の維持にあると考えられる。*1 そのため組織に過剰なゆらぎが生じないように、内部での上位下位関係が遵守されるほか、外部からの擾乱要素や予測不可能性をできるだけ排除しようとする仕組みが働く。例えば擾乱要素となる外部との交通=コミュニケーションは、当然のことながらできるだけ抑制される。また、すべてを予測範囲内に収めるため、前例や決められた手順あるいは筋書きどおりに事を運ぶことが優先される。*2
上の引用ではイラク戦争のことがあげられていたが、かっての日本の軍隊というのがまさに武装した官僚組織という側面を強く持っていた。米英との開戦初期は予定通りに事が運んだが、ミッドウェイやガダルカナルあたりから予測を越えた事が続き、それにあまり迅速に対応できなかった。米軍の反攻時期の予測から間違っていたし。
話を川崎氏の学長辞退の件に振ると、予測可能なところで事を運ぼうとする市の官僚組織にとっては、全く予測のできないことを言い出す川崎氏は、相当に煙たい存在と映ったのだろうと思う。また大学構想は自分たち組織のテリトリー内での計画と考えているだろうから、外部の人間の積極的介入や侵食は許せないと。で、コミュニケーションを遮断(シカト)して、そうしたら熱い川崎氏がついにキレ、市長にその辺の事情を訴えたら、アンタはクビだと言われた、ということのようですね。河田氏はその辺のところを想像していたということなのかな。

*1:ハイアラーキーの原型は、同じくツリーを形成する「家」(ファミリー)にあると思う。なので、組織防衛や現状維持のほかに増殖・分化も特徴とする。数は力なりということもあり、メンバーを増やして組織を大きくしようとする。また、増えた分を組織の膨張で吸収できない場合は、一部を分化させる。分化の例としては、ファミリーの分家、蜂の分封、官僚組織の外郭団体作りなどがあげられる。

*2:ハイアラーキーの内部に不可避に生れるインフォーマル組織というのは、そうした固定化・硬直化・閉鎖化によって生じるゆがみの吸収補償装置であり、また内部コミュニケーションの活発化による許容範囲内のゆらぎ発生装置ともなっているいるのではないかと思う。インフォーマル組織は必要悪みたいなものかもしれないが、そもそもそういう裏組織ができるような組織構造じたいが問題とも思う。

川崎和男氏の札幌市立大学学長辞退問題(2)

前日のエントリーの後編です。
 
Innovative One(株式会社日本LCA)というサイトに、川崎氏へのインタビュー記事が載っています。インタビューは「学長辞退」の前に行なわれたもので、皮肉なことにそのニュースが流された次の日にWebに掲載されています。
Innovative One
「“誠実さ”こそがデザインの本質」Innovator File No.9 [2004/8/21]

札幌市立大学が対象とするのは、デザインと看護。まさしく実学の領域です。この分野で次の世代を担う人材を育成していきたい。この法人化という機会・流れを、大学自体を改革する好機と捉えなくてはならない。公立大学あるいは国立大学の法人化のモデルケースとすべき実例がありませんから、自分がその在り方をデザインしてみたいという想いは強くあります。

そして、いいデザイナーを育てることによって社会を変える力にしていきたいと、熱く抱負を語っている。社会を変えるのに、グランドデザインやビジョンを持てないような政治家や首長なんかはいらないですね。
ほんとうは、ビジョンやコンセプトを持っている川崎氏と彼を選定した上田市長とが、最初にじっくり話をしている必要があったのかもしれない。そこでもしお互いが納得できなかったら内定を受けない/内定をしないという方が、今回みたいに後味悪くなくもっとすっきりしてたと思う。川崎氏の立場や権限を明確にされること、それが市長によってきちんとオーソライズされていることが必要だったのだと思う。 と、まあこれも後知恵ですが。
それにしても、このインタビューを読むと、今回の学長辞退というのはなんとも悲しい結末だという気がする。
 

川崎和男氏の札幌市立大学学長辞退問題(1)

ビジョナリー・ディレクター v.s. ビジョンなきトップと官僚組織
 
札幌市立大学の学長に内定していたデザイナーの川崎和男氏が、辞退に追い込まれた。2006年に開校予定の札幌市立大学は、市立札幌高等専門学校と市立高等看護学院を併合してできる新しい大学で、川崎氏の人選は上田札幌市長によるもの。どちらが辞退の話を言い出したかについては、「就任を辞退してきたのは川崎氏」とする市側と「辞退するとは言っていない」とする川崎氏で見解が違っていた。どっちがホントなんでしょ。どうもそのへんは新聞記事を読むかぎり、川崎氏が学長を辞退したというより、市と市長による内定の取消しのようだ。

毎日新聞 2004年8月21日
札幌市立大学長内定辞退、名古屋市立大学・川崎和男氏「なりたかった」

札幌市立大学(初代学長)の内定を辞退した名古屋市立大学大学院芸術工学研究科の川崎和男氏(55)が20日、毎日新聞の取材に「初代学長になりたかった。市民や生徒に申し訳ない」と無念さをにじませた。
川崎氏は市立高等専門学校、高等看護学院の教員を優先して採用選考する2段階公募制は「公平ではない」と指摘したという。さらに、法人化に伴う細かい運営方針も提案したが、大学設置準備委員会や市には理解されず、リーダーシップを発揮できない感覚があったと説明した。
上田文雄市長に送った「辞退届」の電子メールは「このままでは、辞退せざるを得なくなる状況を絶叫したつもりだ」と説明。名古屋市の自宅を訪れた上田市長が「(状況を打開するのは)難しい。辞退していただけないか」と言われて辞退を決めたという。

 
また、Academia e-Network Projectというサイトの「全国国公立大学の事件情報」に、辞退関連の北海道新聞記事があります。そこに川崎氏への電話インタビューがあったので引用してみる。
Academia e-Network Project
「札幌市立大、市長が学長を切った!? 教員の人事権・選考方法で対立 トップダウン望む川崎氏VS上田札幌市長」

*川崎氏との一問一答
*「私は『看板』で人事権もない」

「札幌のみなさんに申し訳ない」―。札幌市立大の学長就任を辞退した川崎和男名古屋市立大大学院教授(55)は二十日、北海道新聞の電話インタビューに応じ、辞退に至った経緯や現在の心境を語った。一問一答は次の通り。(聞き手・渡辺創)
――就任会見からわずか一カ月半しか経(た)っていません。なぜ辞退したのですか 
「私の側から『辞めたい』と言っていません。ただ、デザイナーとしての力やアイデアを生かし、二十一世紀に通用する新しい大学を作るための条件が、札幌市側との間で折り合わなかった。私は最後まで最後の最後まで『札幌に行きたい』と言い続けたのだが…」
――その条件とは何ですか
「例えば教員選考の基準。私は実力のある優秀なスタッフをすべて公募で選ぼうと思っていましたが、私に人事権は与えられなかった。教員はすべて英語で講義ができる人材を、という考えも拒まれました。IT関連のベンチャー企業と連携して、新産業育成を目指すというアイデアも受け入れられなかった。資金援助を約束してくれた企業も二十社はありました。私は要するに『看板』で何もするな、ということです」
――六月三十日の学長就任会見では「札幌に骨を埋める覚悟だ」と話していました
「昔、札幌医大を受験したころから札幌への思いはずっとありました。デザイナーとしての仕事はやり尽くしたので、残りの人生は教育者として札幌で頑張るつもりでした。こうなって残念です」
――川崎さんに期待を寄せていた人は多かったのですが
「札幌市民や上田市長、北海道の方々には本当に申し訳ないと思っています。特に市立大学を目指してくれた若い人たちをがっかりさせ、結果的に裏切ることになってしまった。社会的責任を取るため、教授に就いている名古屋市立大や阪大には辞職願を出しました。ただ、デザインと看護を結びつける札幌市立大は今後、必要な存在になるのは間違いない。これまでかかわった以上、市立大を支援していく気持ちです」

 
両者のいちばんのギャップは、どんな大学にするのかというビジョンやミッションを持っているデザイナーと、ビジョンなんかどうでもいいからとにかく既定の路線と権限を維持したいという役人との間の、考え方の違いにあると思う。大きな争点にもなっている教員採用問題――川崎氏:スタッフをすべて公募したい v.s. 市側:現高専教員の優先採用を考えている――には、そのへんの事情が端的に表れている。とくに「教員はすべて英語で講義ができる人材」(名古屋市立大ではそうしてるらしい)となると、条件を満たさない教員も少なくはないだろうし。ただ川崎氏も不採用教員については、そのままクビというのではなく、学内に別組織を作ってそこで吸収するという考えを持っていたようですね。
こういう結果になった大きな原因のひとつは、札幌市の役人たちが現在の高専と高看や今度できる市立大学を、自分たちのテリトリーだと考えてることにあると思われる。いちおう建物も教職員も市に所属するものだし、何らかのかたちで市の行政とかかわりを持っている教員もいるようだ。また高専設立から大学構想まで市が推進してきたことなので、外部の人間に口出しされたくないという考えがあるのだろう。とくに人事権については、一方は優秀な人材を確保するための手段としてとらえ、もう一方は人事にかんする権限の行使力や市の組織のためと考えている違いがあるといえる。要するに役人たちは、札幌や市民の将来のために最もふさわしい大学を構想していくのではなく、自分たち組織の都合を優先させることしか考えていないようだ。
そのへんに関しては、次のサイトでも疑問が投げかけられています。
北海道経済産業新聞
札幌市立大学・初代学長予定者川崎和男氏、学長就任を辞退/2004-08-20

札幌市側では合議制を重んじ、手続きを重視しながら大学設立に向けて準備してきたが、川崎氏の新大学への思いをそこに汲みきれなかったのではないか、としている。
 しかし、新大学の設置準備も、いわば“デザイン”の一種。川崎氏のデザイン能力に対して札幌市側が追従しきれなくなったということも考えられる。いずれにせよ、札幌市にとっては大魚を逸する結果となり、勿体ない限りだ。
 
(2004-08-22追記) その後、一般各紙報道によって、川崎氏から辞意を表明したものではない旨が明らかになった。旧高専関係者に対する優遇措置に不満があったとも、会議中に川崎氏が激昂した場面があったとも、同時に伝えられた。
 果たして札幌市が重視したのは「市民参加」であったのか、それとも「組織維持」であったのか。

「新大学の設置準備も、いわば“デザイン”の一種」というのはまったくそのとおりだと思う。べつの言葉でいうと、組織デザインも含めたグランドデザインはビジョンになる。(公共的な責務や大学の存在理由としてはミッションになる。) だから初代学長の予定者としては、これから出来る大学についてビジョンを示すのは当然のこと。実際はいろいろな要素がからんでくるので、多少の妥協や修正は必要になるかもしれないが、根幹のところは変わらないはずだ。
つまり新しく企業を作るときと同様に、ビジョンやミッションが必要とされるのだ。新規に創設する場合ではなく、既存の組織などが新しく生まれ変わるときにも、日産のカルロス・ゴーンのように強力なビジョンが必要になってくる。ビジョンはふつうトップこそが示せるものであり、またトップの権限でもってトップダウンで衆知徹底されることになるのだ。
そこのあたりをきっちりと指摘しているのが、
jouji_2_99の日記 さん
d:id:jouji_2_99:20040820#p1

「公募は一般も高専の先生も同じ土俵でやるべきだと思う」
「教員の選考基準に「英語で授業ができること」の要件を加えるよう提案」
「市立大を核にしたIT、エコロジー関連の街づくりの提案もしたが、「そこまではいらないです」と二の次に」
といったところが問題になったと。一番最後のは「私のシンクタンクからの提案」というところでちょっと怪しいものを感じないこともないですが。それはともかく、前二者を札幌市側が断った理由というのが「準備委員会で話し合っていない」から、つまり「みんなで話し合っていないから」というのは私もどうもなー、と思う。こういうことってみんなで話し合った結果がベストになるとは限らない。つか、たいていムダなことが多いと思います。トップが責任をとるつもりならばこの程度の独裁は認めた方がいいかと。

確かに「みんなで話し合う」というのは曲者で、手続きばかり民主的とか透明性とかいってもけっきょくアウトプットがタコ、ということがありますね。また、あらかじめ(役人などの作った)筋書きがあって、手続きとして「みんなで決めました」というアリバイがほしいだけというのもあったり。なかにはそういうのでも構わないものもあるとは思うけど、新しい大学を創設するのにそれはないだろうという気がする。
そもそも川崎氏への学長内定だって、トップにいる市長だからこそ行なえたものだ。そしてもし学長候補として実務経験にもデザイン能力にもビジョンにも欠けるような人物を選んだというならまた話は別だが、それと正反対のタイプの人物に声をかけたわけだから、それ相応の対応が求められることになる。つまり市長には、人選の段階で学長予定者の示すビジョンの妥当性を判断し、もし妥当と認めたなら彼に権限を付与するなり、それ相応のサポートが求められるのだ。そして市長の意志は、とうぜん役人や計画策定委員会にも伝えられるはずだ。(まあ、後知恵で好き勝手なこと言ってますが……。汗)

けっきょく今回上田市長が優先したのは、いい大学を作りあげてゆくということよりも、市の幹部職員との摩擦を避けて折り合っていくことなのだと思う。札幌市の上田市長は革新系(民主党)ということになっているけど、北海道の場合は革新といっても各種労組が主体なので、自民党と変わらないくらい保守だったりする。札幌はこれまで長い間、市の助役あがりが市長をやっていたので、弁護士あがりの市長はそれよりもっとマシかなと思ったけど、たいして変わりないかも。
 
それとデザイン系高専と看護系学校の合併ということに関して、それら二つの異質なものを単に合体させても、単にデザイン学部看護学部のある大学にしかならないでしょう。おそらくデザイナーなら、その二つの組み合わせの妙で、次元の異なる新しいものが生れそうだという予感を持つはずだ。おそらく川崎氏は、そこのところに非常に大きな可能性を見ていたのではないかと思う。
デザインは適用範囲が広い。看護はケアと読み替えると、これも対象となる範囲がかなり広くなる。デザインとケアとが結びついてできるものは、たんにモノとしてのバリアフリーユニバーサルデザインにとどまらない。なによりそこから文化が生れるのだ。そしてそれこそ北海道や札幌に欠けているものだったりする。
札幌高専は初代学長に建築家の清家清氏が選定されていた。おそらくそれはサプライズ狙いの人選でもあったように思う。そして今回も川崎氏が「私は要するに『看板』で何もするな、ということです」とコメントしていたように、けっきょくは大学のPRと学生募集のための客寄せパンダとして、話題性のある川崎氏に依頼してみた、というところなのだろう。
でも「看板」扱いというのは人のやってきた仕事に対するリスペクトが欠落してるということであり、とくに才能や実績のある人にはとても失礼な話なのだ。そのへんの役人と市長の無神経さは、どうしようもないという感じがします。
 
■ 9/10 追記:リファーしていた一部を都合により削除しました。

(2へ続く)

盆踊りと身体動作

先週末、大通公園の広場でやっていた盆踊りを見物した。こちらの盆踊りは、通りを練り歩くのではなく、「北海盆歌」にあわせて櫓(やぐら)の周りをぐるぐる回る。前に見たときは踊りに注目していたが、今回は櫓のいちばん上で太鼓を叩いている人たちに興味をひかれた。四、五人が交代で叩いていたのだが、大人のなかにひとり中学生くらいに見える女の子がいて、なかなかにカッコ良かった。
一連の太鼓を打つ動きのなかに、木枠のふちをカンカンと叩いてからバチを頭の上にかかげ、それからドドンと振り下ろす箇所がある。大人や若い男性は慣れているせいか、そこのところをあまりバチを高く上げずに連続した動きのなかでサッとやってしまう。でもその女の子は、まるで剣道の上段の構えのように高くバチを振りかざす。それがほんの一瞬静止したように見える。そしてそれから一気に太鼓の中央へ打ち下ろすのだ。単に盆歌の拍子取りだけではなく、太鼓を叩くことじたいにも見せ場があるという感じだ。もしかして本人にはそういう意識があまりなく、基本の「型」に忠実に従っているだけなのかもしれないが、とにかく動作が美しかったので見とれていた。
盆踊りは盆に帰ってくる死者を迎える踊りとされているが、こちらの盆踊りの振りは波を象っているのではないかと思っている。たとえば両手を開きながら体を引く動作は引き波のようだし、両手を湾曲させながら高くかざす動きは波そのものを表しているように見える。そして櫓の周囲を回る動きはまるで渦だ。死者たちは常世の国から、波に乗ってやってくるのではないだろうか。(まるでサーファーみたいな言い方だけど。)
踊りを見ていると、手をかざす動作を高い位置でやっていない人が多かった。太鼓にしても踊りにしても、手を高く上げる動作は疲れるような印象を受ける。でも、手や肩をそのまま位置エネルギーの高いところにもち上げるというわけではなく*1、回転力を利用するのだから、そんなに力は要らないはずなのだ。なにせ波なのだから。(と、自分では踊らないのに、能書きだけ言ってみたり。)
盆が終わると、こちらは空にも風にも秋の気配が濃くなってくる。

*1:たとえば弓道では弓を高くかかげ、それから弓を絞りながら引き降ろすという動作を、腕や関節の仕組みも利用しながらやるので、非力な者でも弓を引ける。また、腕は上げても肩は最初から上げない。

メモ

  • バカがひくという夏風邪にかかって調子がわるかった。ちょっとネットからも離れてた。
  • 田舎者と関西人と大学のセンセイは、デザインというものにお金を払うという考えを持っていないらしいことがわかった。

 

自己愛としての愛国心(Reviced 15:30)

INCOGNITO2004-08-09

絵文録ことのは」の松永さんのところで展開中の「愛国心」の話題について、前日のエントリー『人格障害の時代』(岡田尊司)に関連させてちょっと書いてみる。
「絵文録ことのは」―病的愛国心 Diseased Patriotism
「絵文録ことのは」―Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編

今の時代、国家へ至る途中にあった共同体への愛や
郷土愛といった部分が希薄化・崩壊 してきている。



なにかというと愛国心を持ち出す人というのは、どういった人たちなのだろうか。いくつか考えてみた。

  • 肥大した自己愛を抱え、その尊大さや共感の欠如などによって愛情が他者へ向かわず、代わりに国に自己愛的同一視する。このとき愛国心は自己愛に他ならない。
  • 人格障害があり「人を本当に愛することの困難さ」を抱えているので、やはり愛情の対象を人ではなく他のもの(国)に求める。
  • 人格の空虚さを抱えていて、愛国心でその空虚を埋めようとする。(埋まるわけがないけど。)

その他、父親を乗り越えられなかった人が強さの誇示のために国家を持ち出す場合とか、国や愛国心超自我代わりにしようと考えてる人のケースなどもありそうだ。
対抗意識というのはわりと自然なことだろうし、スポーツの国際試合で日本の選手やチームを応援するのも自然なことだと思う。(もし大阪に住んでいたら、地縁でタイガース・ファンになるのが自然だというのと同じ意味で。) でも近隣諸国への憎悪をベースにするしか自らを定位できず、そこでの善悪・敵味方というスプリッティングした枠組みでしかものを考えられないとしたら、それこそまさに人格障害的なのだ。
いま企業も終身雇用の廃止によって共同体としての機能をはたせなくなり、地域共同体も次第に失われ、ますます個人主義の時代になっていくなかで、これから人と人とがどう結びつくのかが模索されている。じっさいblogでもそのへんをテーマに取り上げてるものが少なくない。(おそらく松永さんのところもそうなのだと思う。) 今までの社会では、つながりの絆がどちらかというと個人の外にあった。でもこれからは個人それぞれの人格を尊重した結びつきが必要となってくるのではないだろうか。人権とか日本人といった言葉で人間をひと括りにするのではなく、個々の人格を見るということである。
でも、肥大化した自己愛や人格障害やパラノイドの人は、気の毒なことに他者の人格を認知するということが根本的にできないので(自己にないものを他人に見つけられるはずがないので)、カテゴリー(類や種)で考えるしかないのだ。*1 相も変わらず、サヨ、反日、中国人は…、韓国人は……、といった具合に。*2
 

*1:物事を類で把握しようとする傾向は、精神分裂病患者の特徴ともされる。

*2:左右のイデオロギー対立というのは、重要な問題の目くらましの役割も担ってきている。じっさい例えば自民・社会の55年(?)体制というのもイデオロギーの衝突であったけれど、基本はA面(自民)とB面(社会)でのハイアラーキー組織・利権の温存共犯関係でもあったのだ。そうやって役所や官僚は膨大なリソースを食い潰してきたし、いまも小泉内閣は「構造改革」なんてまともにやってない。